オタペンせんせいサービスについて思うところ
今日はオタペンせんせいの話をします。
4月にプレオープンした「オタペンせんせい」は同人作品の校正・校閲のサービスです。
以下にリンクを張り、サービス内容を概要から引用します。
>何をしてくれるの?
>個人制作・発表の作品(同人誌、WEB掲載など)の「原稿チェック」を承ります。
>・校正
>・校閲
>・性器部分の修正チェック(年齢制限作品のみ)
また、モニター利用者さんがブログを書かれていたので、それもリンクを張ります。
http://you-at-pedal.hatenablog.com/entry/2019/04/22/163751
基本的に私は「オタペンせんせい」をすごく良いサービスだと思っています。人間はひとりで作品を完成させることができますが、瑕疵からは逃れることができません。そこを第三者の視点で、校正・校閲してもらえる、というのはとてもありがたいことです。また価格も非常に良心的ですし、納期も正直心配になるくらいみじかいです。
その上で、感じたことを書きます。
「校正」「校閲」「編集」はそれぞれ役割が違います。校閲の中に校正が包摂されるという考え方もありますが、私は別個のものだと思っています。
具体的に言うと、以下のようなことがそれぞれの職掌ではないでしょうか(「編集」だけふわっとしていますが……)
「校正」
・「段落頭1字下げ」「感嘆符のあと1文字あき」など、表記のルールの統一の指摘
・「明らかな誤字脱字」に対する指摘
・同音異義語、慣用句の誤用、接続詞の矛盾などの指摘
・意図的ではないと思われる表記ぶれに対する指摘(たとえば、漢数字と算用数字の混在など)
「校閲」
上記校正機能に加えて
・ファクトチェック
・内容について、つじつまが合わない部分の指摘
・差別語などの指摘
「編集」
・表現をより良いものにするための提案
・全体の構成に関わる提案
簡単に言うと、「葦が速い」を「足では?」と指摘するのが校正、「東京から静岡までは30分で行けません」と指摘するのが校閲、「この台詞は言い方を変えたらもっと良くなるんじゃないですか?」と提案するのが編集、だと思っています。
ここから先は感覚の話になりますが、「表現」はあくまで表現者のものだと思っています。そして「校正・校閲」はそこに立ち入るべきではないとも思っています。唯一立ち入れるのは「編集」です。
とくに創作というジャンルにおいては、「読みやすさ」「表記の正しさ」より尊重される「表現」というものがあると思います。それはたとえば助詞「の」が連続するような、カタログライティングなどでは絶対に赤字を入れられる類のものかもしれません。それでもそれが「創作」である以上、校正者・校閲者はあくまで「絶対的な間違い」のみを指摘するものだと考えます。
そのうえで、オタペンせんせいが現状提供しているサービスは、「校正・校閲」に「編集」が加わったもの、という風に感じます。それ自体を批判しているわけではありません。ただ利用者の人が「校正・校閲」サービスを「そういうもの」だと思ってしまうと、今後ほかの校正者・校閲者さんにお願いをするときに、齟齬が生まれるのではないか、というのが私の危惧です。
繰り返しますが、サービス自体はとてもよいものだと思いますし、個人的にも利用してみたいと思っています。
正式にサービスが始まったらレポを書きたいと思います。今日は以上です。